東京パラリンピック開催が近づくにつれ、障害が注目される機会が増えた。しかし普段の生活で生じる身近な障害・バリアに対しては、無自覚なまま過ごすことが多いのも現実だろう。東大でのバリアフリーの現状と共に今後私たちが目指すべき社会の在り方について、バリアフリー支援室の専任教員、障害のある1年生3人、当事者研究に携わる熊谷晋一郎准教授(先端科学技術研究センター)への取材を通して探りたい。
(取材・原田怜於)
全学的支援に学生参加も不可欠
東大のバリアフリー支援は「人的・物的な支援を支援専門部署だけではなく多くの部局が行う」ところに特徴があると、垣内千尋准教授(バリアフリー支援室)は語る。全学的な支援の輪を広げるため、各部局が支援実施担当者や支援機器の配備などの人的・物的支援を、本部が財政的措置を担当する。支援室はその中で専門的ノウハウの提供や助言、学生サポートスタッフの募集・育成を中心に行う(図1)。多方向からの支援を得ることで「東大全体としてバリアフリーを進める」取り組みを実現しているのだという。
中津真美特任助教(バリアフリー支援室)は支援室の特徴として①障害のある学生と教職員の双方を支援していること②支援の方向性を定める中心的立場に当事者が複数含まれること③「障害者支援」ではなく「バリアフリー支援」という言葉を用いること を挙げる。障害のある教職員を構成員に取り入れることでより包括的で体験的な視点を取り入れた支援が可能になる。また、「バリアフリー支援」の表記にこだわるのは、障害者の方が変わるべきだとする「医療モデル」ではなく、変わるべきは健常者のみに適合的に機能する社会の方であるという障害の「社会モデル」という考え方(図2)に基づくからだ。「障害の有無は違いでしかなく、障害者も当たり前の存在として受け止められる社会基盤を整えていくことが大切ではないか」と垣内准教授は話す。
心理的・物理的なバリアフリー化の一つの在り方として、学生サポートスタッフの存在は見逃せない。事前登録制のスタッフが登録後必要な支援に応じて、授業の要点をノートテイク、図書館蔵書のデータ化などを行う(図3)。謝金も支払われるため、学生は授業の空きコマを利用して働くことができる他、支援室にとっても学生視点の加わった「質の高く、寄り添った」支援が可能になっている。結果的に支援のノウハウを心得た学生が増える、学生同士がつながるきっかけになるなど好影響もあり「実際に障害者と会って話をする中で、障害への正しい理解が促進されることもある」と垣内准教授はその意義を語る。
現在の登録者は全キャンパスで170人程度と多いようにも思える。しかし理数系の学生への支援や大学院生が必要な支援などでの局所的な人員不足や、スタッフの集まりにくい時間帯もあることから登録者の増加は重要だ。支援室はさらなる学生の参加を呼び掛ける。
さらなるバリアフリーへ
「自分の置かれた状況をクリアにすることが当事者研究なのだと思います」と話すのは、脳性まひを抱えながら当事者研究を行う熊谷准教授だ。例えば障害者の場合、支援者が少ない状況に陥ると迷惑を掛けないことを優先するあまり、自らの欲求を無意識に制御することがある。熊谷准教授は高校卒業後親元を離れ、駒場での1人暮らしを始めた当時を「当初は不便なことだらけだったが、一方で心理的な解放感もあった」と振り返る。頼れる依存先が増え、主体的に支援を受けるようになったことで本当に必要なことや求めていることが分かり、自己を見直す機会にもなったという。
その中で、障害は社会によって形作られるという「社会モデル」の考え方に出会う。「社会が多数者に適合するように設計されると、その中で見過ごされる存在も必ず出てきます。障害というのは、そうした社会とのミスマッチが引き起こす現象なのです」と熊谷准教授は語る。理想の人間像を要求する不寛容な社会設計では、そこから離れた人は生きづらさを抱えることになる。時代の要請によって理想像が変われば、障害者の定義も変わる。まずは自らが感じる生きづらさを障害だと認識することが障害への理解を進めるきっかけになるという。
一方で、現に生じているミスマッチを否認して、多様性を称揚する傾向に対しては、慎重さも必要だ。「ロンドンパラリンピックでは、障害者を『健常者と違う独自の能力を持つ人』と描く向きがありました。しかしこの捉え方だけでは、多くの障害者が直面する不利益は過小評価されてしまいます」と、熊谷准教授は短絡的に障害者を同一化する姿勢には疑問を呈する。
当事者の意見が制度設計に反映される、当事者研究が盛んに行われるなど(図4)東大のバリアフリーは「現状世界で類を見ないくらいに充実した水準にある」と言うが、熊谷准教授はさらに多くの学生がこの問題に関心を持ってほしいと考える。「多数派の側にいると、自らの優位性に気付かないこともあります。現にある不平等さや権威勾配を見逃した中立性は、不公正を再生産させてしまうという認識が必要です」
「誰もが自らの選択の幅を狭められることのない、機会の平等を実現することが最終的な目標です」と語る熊谷准教授。その実現の鍵を握るのは他でもなく、社会の構成員である私たち全員だろう。
当事者の声 相互理解と個性の尊重を
実際に支援を受ける学生は東大を含む社会で日々どのようなことを感じながら暮らしているのだろうか。今回は全盲の菅田利佳さん(文Ⅲ・1年)、車いすを使って生活する奥田祥太郎さん(理Ⅱ・1年)、難聴と発話障害の湊杏海さん(理Ⅱ・1年)の3人に話を聞いた。
──普段の生活で受けている支援や、感じるバリアは
奥田さん 東大の配慮は進んでおり、普段の生活では不便をあまり感じません。テストの際に車いすで行ける席に替えてもらう、化学実験で人的サポートを提案してもらうなど頼りやすい雰囲気があります。
菅田さん 工事中のフェンスにぶつかりかけた時に通りかかった学生に助けてもらったことなどがあり、心のバリアフリーも進んでいると思います。学生スタッフや友人が分け隔てなく接してくれることや、ニーズを教務課に相談できる体制にも助けられています。
湊さん パソコンテイクや筆談などを用いた支援が充実しています。ただ、以前支援した障害者と同じ程度の障害だと見込まれて行われるサポートでは不十分な場合もあり、各人の障害に合わせる意識が必要だと感じることもあります。
奥 学生会館やキャンパスプラザはバリアフリー化が進んでいませんが、サークル活動で使う時には支援を申し出にくいことはありますね。
菅 今は文献へのアクセスに時間がかかるのですが、今後研究する際には課題になると思います。
──サポートをする際に求められることは
奥 あまりに特別視されると、かえって本人の意思に背くことがあります。
湊 東大には障害に理解のある人も多いですが、いまだ存在する固定観念はなくすことが重要ですね。
菅 障害のある人に出会う機会の少なさに加えてそれぞれの障害に違いがあります。支援を受ける側がうれしい配慮のされ方を伝えることも必要でしょう。やはり積極的な声掛けをしてもらえると、要望を伝えやすいです。
今後皆が過ごしやすい社会にするためには、どのようなことが必要でしょうか
奥 まずは相互の理解を深めることだと思います。そのためには、互いの差異を意識しすぎないことも大切でしょう。自発的に意見を発信する中で相互の理解が進めばと考えています。
菅 科学技術の発達で障害を意識する場面が少ない今でも、人からの支援は心強いものです。人同士が心を通わせる中で互いの差異を尊重し、相手に必要なことを考え続ける社会が一つの理想ではないでしょうか。
湊 相互の完全な理解は難しく、結局は表面的な理解しかできないと感じます。ただ、その中でも互いの個性を尊重することはできます。仮に自分だけに音が聞こえるという状況が訪れたとしても、互いを尊重する姿勢があればうまくいくのではないかと思います。
この記事は2020年1月1日号から転載したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を公開しています。
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