新型コロナウイルスの感染拡大により休校が続いたことを受け、9月入学(秋入学)への移行に関わる議論が現役高校生の提案や萩生田光一文部科学大臣による言及などで盛り上がった。東大では濱田純一前総長(以下、濱田氏)が在任中(2009~15年)に秋入学構想を発表し一時的に議論の的となったが、現在は見送りの状態にある。今回はその経緯や論点について、本紙が過去に行った取材や東大公表の資料などを基に整理する。新型コロナウイルスを受けた秋入学移行の是非の判断材料となるだろうか。
(構成・村松光太朗)
※学外の反応に関するアンケート調査はNHK、私立大学連盟、リクルート進学総研、大学新聞社、HR総合調査研究所、Benesseにより行われたものを引用。
現行入試日程維持の秋入学構想
背景・構想の流れ
「タフでグローバルな東大生」という文句に表現される通り、濱田氏は09年の就任当初から学生の主体的な学びの推進と大学教育の国際化を明言していた。特に後者は、社会のグローバル化が進む中で大学の人材育成に対する社会的要請が増大したこと、国際的な大学間競争への対応を迫られたことが背景にある。10年3月には、任期中の実現を目指す中期目標「行動シナリオ」を発表。その一つが、留学生の受け入れ増加や学生の海外派遣拡大を目指す「グローバル・キャンパスの実現」だった。
秋入学構想はこの目標に基づく改革の一環として生まれた。構想の主体となったのは、翌11年に当時の東大理事を中心として発足した「入学時期の在り方に関する懇談会(以下、懇談会)」。学内外からの意見もくんで秋入学を検討し、12年3月に秋入学への移行を是とする最終報告書を濱田氏に提出。報告書では一般入試の時期を現行通りとする秋入学形態を想定し、メリット・デメリットを示した(図1)。大きなメリットとして国際標準的な学事暦と整合することで留学しやすくなる点が挙げられた。
懇談会は秋入学の実施形態について、①大学院の扱い②春入学の存廃③入試時期④公的資格試験との関係 の四つを主に論じた。
大学院の秋入学に関しては従来の春入学と併せて既に導入されているところもあり、懇談会は未導入の研究科・専攻の扱いも含めて各部署の判断で進められるべきと判断した。議論の的は、学部教育の国際化に絞られることとなる。
大学院の例もあるように、議論当時まで秋入学は春入学に加えて実施される補完的措置と捉えられていた。この春・秋両方を入学可能時期とする案を「複線化」と呼び、春入学をやめて一律秋入学に移行する「秋入学全面移行」の案とは対立する。既に複線化が進んでいる大学院については、入学希望者にとって選択肢の多い複線化の継続導入が望ましいと懇談会は判断。一方学部段階の教育は積み重ね式であり、複線化を導入すると同じ授業を2度行う必要が生じるなど相当のコストが伴う。学部では全面移行が合理的だと結論付けた。
秋入学に全面移行する場合、入試時期が大きな問題となる。学部入試は現在も1月に大学入試センター試験(21年度より共通テスト)、2月に2次試験となっている。この入試日程を維持するのか、秋入学に併せて秋に移すのか検討しなければならない。懇談会は後者のメリットとして、3月末までの高等学校教育の充実化やその成果の適切な評価が可能となる点などを指摘。一方受験競争を長期化してしまう点などを懸念点に据えた。
結果として懇談会は、前者の現行入試日程を維持する案を主として支持。高等学校の春卒業が維持される前提なら、入試後の半年間は新入生全員にとって強制的な空白期間となる。これを「ギャップターム」(図2)として「有意義な体験」に従事する期間と位置付けた。ギャップタームは英国などで採用されているギャップイヤー制度を基にしたものだが、任意性が無い点で異なる。
懇談会はギャップターム中の有意義な体験として想定されるものを取り上げた(図3)。このような体験機会の充実も秋入学の意義の一つだ。しかし各学生の経済事情によりギャップタームの過ごし方に差が生じてしまう点や、半年間講義も試験も無いことによる学力低下の恐れなどが懸念点として挙げられる。これらの課題を解決できなければ、秋入学のデメリットとなってしまう。なお、この秋入学構想と同時期に計画された東大の体験活動プログラムなどは、有意義な体験を大学がサポートする制度であり、後に実現している。
公的試験の実施時期も重要な課題だ。秋入学を導入しつつ大学の修業年限(卒業に要する標準的な教育期間。医学部などを除き一般に4年)を維持すると、卒業時期も秋となる。しかし医師、薬剤師、法曹などの資格試験、公務員採用試験といった公的試験は春入学・春卒業を念頭に置いた制度となっている。民間企業への就職時期は企業側の裁量で柔軟に対応し得るが、先述の資格取得や関連専門職への就職に関しては制度改定が要求される。懇談会は試験時期や受験資格の見直し、複数回実施の検討などを政府に対する期待事項とした。
懸念点多く当面見送りに
当時の学内外の賛否
懇談会による最終報告後の12年5月、全学的な機関「入学時期等の教育基本問題に関する検討会議(以下、検討会議)」が発足。海外大学と学事暦を合わせて国際化を図りたい執行部と、学部の学生教育を重視する教授会との対立を中心に秋入学全面移行の是非が議論された。後の本紙インタビューに対し、濱田氏はギャップタームの導入が最大の論点だったと指摘。「当時学内では秋入学に賛成する教員が3割、反対が5割程度だった」
前期教養課程を担当する総合文化研究科・教養学部では慎重な意見が目立った。入学時期と各学期の時期は別問題で、入学時期を変えずとも各学期の始期・終期を調整すれば留学は活発化できると指摘。数理科学研究科の教員を中心に結成された「東大の秋入学移行に反対する東大教員有志の会」も、入学直後の学生の意欲や初年次の数学基礎教育の重要性から強い反対の意志を表明。言語障壁が大きいため、秋入学が海外からの留学生増加に貢献しない可能性にも触れた。
学生の反応については、懇談会が報告書を発表した直後に本紙が東大新入生へアンケートを行った(図4)。回答者3128人のうち秋入学構想を知っていたのは94%で、そのうち秋入学の支持は50%、不支持は23%。賛成理由ではギャップタームでの活動や国際流動性向上への期待、反対理由では経済事情によるギャップタームの過ごし方の格差への懸念が目立った。ギャップタームが与えられた場合の過ごし方は「海外に留学、または旅行」が最多の43%、「語学など好きな勉強」が22%。「NGOなどのボランティア活動」「大学の授業の予習」が続き、「何もしない」は7%で最少だった。しかし同12年の5~10月に在学生まで含めて行われた東大の学生生活実態調査では、秋入学賛成が28%、反対が36%となっている。新入生と在学生の間の温度差が否定できない結果となった。
学外の反応はどうだったか。当時のメディアによるアンケートによると、東大を除く全国の国立大学および私立大学に対する調査では、積極的な賛成が反対を上回った。しかしそれら以上に、検討予定や是非に関して「未定」「どちらとも言えない」などの中立意見が多かった。高校生に対し大学新聞社が11年7月に行った調査では、秋入学への反対が多数派だった。しかし懇談会による最終報告後の12年4月にリクルート進学総研が行った調査だと、逆に賛成が多数派となっている。いずれの調査でも、中立的な意見が賛成・反対より多い。東京都・大阪府・愛知県の全高等学校の進路指導教員が対象の調査では、東大の秋入学導入について「賛成」と「反対」が同程度で、さらに「どちらとも言えない」がそれらを上回った。幼児から高校生までの保護者に対する調査では、大学の秋入学化に否定的な声が肯定を上回った。特にギャップタームについては肯定派3割、否定派7割となった。
産業界では企業採用担当者に対して調査が行われ、東大の秋入学全面移行や複線化を支持する声が多数派だった。日本経済団体連合会(経団連)や経済同友会の反応は東大秋入学構想を支持するもので、政界も好意的な反応を見せていた。
以上の賛否も踏まえ、東大では12年度を通じて議論が続いた。そして13年1月の記者会見で、濱田氏は秋入学全面移行案について「事実認識として困難」と述べた。その理由は①公的資格試験の障害②高校卒業から入学までの半年間に対する新入生・保護者からの懸念の声 などであった。同年6月、ギャップタームも含め秋入学構想は当面見送りとされた。
本紙の取材で、濱田氏はさらに③前期教養課程の担当部局を中心に学内から多くの懸念が出た④国内トップ大学という自負から急速な改革を疑問視する教員もいた⑤激しさを増す執行部と教授会の対立に、政界・経済界が教授会を批判する形で介入してきた(「総長権限で秋入学を強行することは可能だったかもしれないが、執行部が外部の力を借りて教授会の意見を排除する形になるのは避けたかった」) ことも導入見送りの理由として述べた。追随する大学が見込めなかったこと、就職活動や高校卒業との兼ね合いなど、秋入学に向けての社会の整備が進まなかったことも種々の報道で語られている。
なお、検討会議では当時として可能な改革案が続いて模索された。そして提言されたのが、サマープログラムなどの短期留学に対応しやすくなる4ターム(学期)制の導入。4ターム制は15年4月より正式に導入された。当時の東大理事によれば4ターム制は「あくまで秋入学への一歩」であった。秋入学の可能性が消えたわけではないとされたが、この見解が東大公式のものとして20年現在も維持されているかは不明だ。
この記事は2020年6月2日号から転載したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を掲載しています。
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はじめての論文:入江直樹准教授(東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻)
キャンパスのひと:早川健太さん(理Ⅰ・2年)
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