東大の現在地を足元から描き出す本連載。前編では主に現在東大の抱える課題について検証した。今回の後編では、米国型リベラルアーツ教育の伝統を持ちその教育力が高く評価されている国際基督教大学(ICU)と、教育改革に関して長年提言し、自身もかつて改革に携わった吉見俊哉教授(情報学環)の取材も踏まえ、さらなる課題の追求とともに、どうすれば学びを深化させうるのか、東大の教養教育で目指すべきものは何かについて考える。
(取材:原田怜於)
前期課程の両面性
東大に特徴的な制度である進学選択制度。前期課程と後期課程の接続が必要な東大に独自のこの制度は学生の学びのあり方にどのような影響を及ぼすのか。
「東大のカリキュラムは、前期課程では幅広く教養を学び、後期課程では専門分野を究める内容になっている」と話すのは松木則夫理事・副学長(教育担当)だ。東大のポリシーとしてもこの主張は掲げられている(表1)が、前期課程から後期課程への接続という観点からは、理念の達成に疑義が生じる。卒業生調査の「前期課程では、後期課程の授業を理解するだけの能力や前提となる知識が身につかなかった」との項目に「当てはまる」「まあ当てはまる」と答えた人は4割を超える(図2)。
「進学選択制度のせいで、学びたいことを学ぶよりいい成績を得ることが勉強のモチベーションにならざるを得ない。それに、受験が終わってすぐに新たな点数競争が始まるので、『自分が何を学びたいのか』を考える機会が先延ばしにされることにもなる」とAさん(文Ⅲ・1年)は話す。学生の将来設計によっても前期教養課程に期待するものは異なる。将来の希望専攻分野や職種が決まっている人は興味のある授業を多く履修する一方、未定の人は進学選択の幅を広げるため点数の取りやすい科目を多く履修することが多い(表3)。「教養を身に付けるため幅広い分野の授業を履修するという考えは生まれにくいと思う」
東大教養学部の前身に当たる旧制第一高等学校(一高)では、自由な環境の下で世界水準のリベラルアーツ教育が実践されていた。しかし戦後、一高は東京帝国大学(当時)と統合され新制東京大学が誕生。前期教養課程では一高のリベラルアーツ教育の伝統を引き継ぎつつ、当時の南原繁総長は帝大の仕組みを維持しつつ占領軍の要求にも対応する綱渡りを重ね、大学院も強化した。この中で、東大の教養教育も次第に後期課程へとしての接続過程の色彩が強まっていったとしても不思議はない。
リベラルアーツ教育を実践するICUの担当者は「本来教養教育とは、既成の考え方を一旦リセットした上に成り立つもの。自由さこそがリベラルアーツ教育だ」と語る。点数などにとらわれることなく、幅広い視野を持って学んでこそ本来の教養教育だといえるだろう。
松木理事・副学長も「後期課程の前段階というよりも、多様性の理解、複雑な課題への対処、倫理観、総合的な思考力の養成などに重要」と述べるが、現状ではその狙いが学生と十全に共有されているとは言い難い。
前期教養課程が教養を確立することを目的としていながらも、後期課程進学のための手段としても機能するという両面性が、この問題の根幹にあるといえるだろう。
制度的な難しさをはらんだ前期教養課程だが、学生はここでどのような学びを得ることが教養の確立、ひいては専門性の獲得につながるのだろうか。履修制度という観点からこれを考えたい。
「薄く広く」は正解か
東大をはじめ多くの大学で取り入れられている2学期制。東大ではその中で週に1度の授業を105分、13~14回行うセメスター制授業が一般的である。一方で米国では、1学期の履修科目数は多くても五つ。一つの科目が週に2~3回行われ、その分学生は限られた授業に集中できる。
「現在の制度では一つ一つの授業に学生も教員もまともに取り組みにくい」と吉見教授は語る。1学期に10コマ以上取る学生が大半の前期教養課程の現状では、学生側も多量の課題をこなすのは難しい。実際、学生が毎回の予習をこなすことは小テストや課題などの要求がない限り珍しい。負担の過大な授業は単位をそろえ点数を稼がなくてはならない学生から敬遠される傾向にあり、教員自身も文献の予習などを期待しない。「先生が一生懸命やればやるほど、空回りする可能性が高い。これでは学生に教養が身に付かない」
さらに履修制度に目を向けると、前期教養課程では必修の他に準必修と呼ばれる科目群、総合科目からの要求単位数などが細かく指定されている(表4)。学生は、これらの要求単位数を満たすことを大前提に履修を組む。これでは「どうしても、自分の興味のある科目を細切れに取らざるを得ない。本来は目的意識を持って組み合わせを考え選択すべきところが、好きな商品や有利な商品を買い物かごに入れる学習の在り方となっている」と吉見教授は指摘する。ICUの担当者も「前期教養課程で目指される教養の確立が、学生からは単に自分の進みたい進学先へ行くための単位取得手段とみなされるのはもったいない」と話した。
そこで考えられるのが、履修制度自体の改革だ。吉見教授は以下の方法を提案する。「まず、同一期間に履修する科目の数を劇的に減らす。現在は12~14科目を履修する学生が一般的だが、これを5~6科目に減らす。逆に、それぞれの科目を週に2~3回開講する。教員も学生も少ない授業に集中するようになる」。濱田純一前総長期から取り入れられたターム制を活用して、1ターム完結型で2単位の授業を増やしていくのが有効な方策だ(表5)。
実際に、ICUでは各科目が東大の1タームより少し長い3学期の中で完結する仕組みを取っている。また、科目の内容に合わせて、1週間で3回開講するものもあれば3こま続きの授業を週1回行うものもあり(表6)、科目の特性に合わせ学修者の支えとなるように垂直・水平に時間割が設計されているといえる。
授業を短期集中で行うことの利点は学修のしやすさにとどまらない。「学生や教員に自由な時間を生み出せることも大きい」と吉見教授は語る。現在は2Sセメスターの4カ月間、単位を取り切るため週数こまの授業に出続けることを余儀なくされる学生も多い。これを半分の期間で集中して取れるようになれば学生は学期中にも完全に自由な期間を作ることができる。
現行制度は、学生の国際性を高める上でも障壁となっている。2Sセメスターの後半は、国際的には留学などの動きが活発化する時期でもある。「この期間に学生が動けないことが、学生の国際体験を阻害する要因の一つになっているのではないか」。短期集中の授業は、留学や体験活動プログラムへの参加を促しやすくする利点もあるのだ。また、教員にとっても、授業が短期で完結することはメリットが大きい。教員が授業を行う期間と研究を行う期間を明確に区別できることは、長期の調査や研究、論文執筆を行いやすい環境を作ることにもつながる。
シラバスの充実急務
履修科目の決め方も、教育効果を大きく左右する。しかし、入学直後の1年生が履修科目を選択する際、シラバスと上級生からの情報以外に判断基準がほとんどないのが現状。そのシラバスも「書くべき項目が整理されていない」と椿本弥生特任准教授(教養学部付属教養教育高度化機構)は指摘する。例えば「講義の目標・概要」の項では、本来目標と同時に学生に提示されるべき「目的」を記載する指示がなされていない。数年前に形式が統一された点は進歩といえるが「各回の授業の意図や内容、成績評価の指標、講読文献の指定箇所が事細かに記載されている」(吉見教授)海外大と比べればさらなる改善の余地が残る(表7)。
さらに、学生が履修科目を相談する環境が整備されていないのも課題だ。「自らの学びを振り返る仕組みが学生の学びの質を高める」という考えの下、ICUでは各学生に教員アドバイザーを割り当てている。「各学期前に教員アドバイザーの承認を経ないと履修登録をすることができない」と担当者は説明。東大にも担任教員がいるものの、その認知度は低く学生の支えにはなれていない。
「東大でも、ティーチング・アシスタント(TA)が学生を担当して履修の助言をすることも可能でないか」と吉見教授は提案。各学生の事情を把握した相談相手を作ることが、各学生の目的に沿った学びの実現につながると期待する。
松木理事・副学長は「新しい分野の勉学に十分な時間が割けるのは学生時代だけ。終身雇用制が崩れ、異分野への転職も増える。キャリアパスを考えてもリベラルアーツは重要」と、学生側の主体的な学びの重要性を語る。主体的で効果ある学びを実現するためにも、学生の学修を支援する仕組みの充実は欠かせないだろう。
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【連載 法人化15年 東大の足元は今】
この記事は2019年11月26日号から転載したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を公開しています。
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