近代以降の清酒酵母の親「6号酵母」の発祥蔵である秋田市の蔵元新政酒造。8代目の佐藤祐輔さんは東大文学部を卒業した後、記者、ジャーナリストを経て実家を継いだという異色の経歴の持ち主だ。全国でも数社しか採用してない木桶を使った酒造りを復活させるなど、手のかかる伝統技術を継承。6号酵母の持つ特性を生かした「No.6」など従来の日本酒とは一線を画す味わいを持つ酒を造っている。佐藤さんに学生時代の経験や日本酒造りで大切にしている価値観を聞いた。(取材・安部道裕)
【前編はこちら】
日本酒の味に伝統はない
──実家に戻った当初はどんな仕事をしていましたか
私が実家に戻って最もショックだったのは、このままいけば5年で債務超過になってしまうほど経営状態が悪化していたことです。楽しく酒造りをやるつもりが全くそういうわけにいかなくて、一刻も早く売れる酒を造って赤字を脱却する必要がありました。会社に泊まり込みで徹底的に酒造りをすることを4、5年やり、ついに2012年に赤字から脱却しました。そのタイミングで父親に頼み私が社長になりました。
──社長としての仕事はどうですか
社長職になりいろいろな業務が増え、仕事をし過ぎた結果、2015年に体を壊してしまいました。重度の自律神経失調症になってしまい、常に動悸(どうき)やブレインフォグに襲われ、慢性疲労症候群もあってまともに立てない状態でした。かろうじて意識がはっきりしているときに経営の指針の決定や利き酒をしていました。それが2年ほど続きました。
病気で現場を離れていたときから自分なしで現場が回るように組み立てていたので、今は基本的に現場には出ません。酒のメカニズムに関する知識には自信があるので、酒質の設計から各製造工程へ指示を出して、それを確認しています。現場に立たない分、社長としてお客の対応やPR活動、講演会、イベントの計画などをしています。
──佐藤さんの行っている酒造りについて教えてください
私はおそらく世の中の流れと逆行しているんですよね。一般的な企業は科学技術を駆使して新しいものを作っていると思いますが、私は科学で解明されてない伝統技術を保存して魅力を伝えていくことに取り組んでいます。
例えば、新政酒造では全国でも数社しかない木桶を使った製法を採用していますが、酒造りに限らず、味噌でも醤油づくりでも、木桶のみを使うところはほぼありません。ハイテクな容器で造った方が衛生的で管理が楽なんです。しかし木という素材を使うことで、科学で解明できないコントロール不能で複雑な発酵が起きるんです。今まで人間は自然を自分の思いのままにしようとしてきましたが、結局不可能です。もし完全にコントロールした酒ができたら、みんな同じような製品を作ることになります。産業としてはプレイヤーが少なくなり、コスパが良いものを生産できる企業しか生き残れず、産業全体が悪くなっていくのです。良いものができても、多様性をないがしろにしたものであれば意味がありません。ある産業に一社しかなかったら、その一社が潰れると産業はなくなってしまうわけですから。
伝統技法で製造するとコストはかかりますが風土を反映した個性的な酒になります。そういった酒が主体になっていくことで、津々浦々の蔵に存在意義が生まれ、産業自体がより豊かになると思います。私たち造り手はそこから目をそむけて便利な機械を買って、同じような酒を作って過当競争に陥っているのです。日本酒に限らず、全ての伝統産業でこういった現状を変えるのは大事な仕事だと考えています。
──どのような日本酒を造っているのですか
江戸時代に飲まれていた酒を、伝統を重んじるからといってそのまま販売しても絶対に売れません。人間の味覚は、景気や同時代の食べ物といった他の影響を多分に受けます。日本酒のトレンドを見ると、非常に変化しています。簡単な例を出すと、景気が良いときは辛口が売れて、景気が悪いときは甘口が売れます。理屈としては、景気が悪いと酒をあまり買えないから、一杯に充実感を求めて、甘口の重いものが人気になります。景気が良いとお酒を飲む量が増えるので、飲みやすくて軽い辛口が人気になるんですね。
他にも、日本酒は江戸時代の中盤から後半にかけて辛口が多くなりました。これは食べ物の影響で、江戸時代の中盤から奄美大島で黒糖の栽培が始まった結果、料理にも砂糖が入るようになり、甘口の酒が合わなくなって辛口に移行したのです。現代では昔ほど酒を飲まず、本当においしいものを程良く飲む時代になっています。アルコール度数が高い意味もないと思っていて、素材感を生かして発酵されたフレッシュで爽やかな日本酒を造っています。
時代に合わせないとそもそもニーズは生まれません。なので味には伝統がないと思っています。何が伝統かというと「技術の連鎖」です。古い技術を土台にしてある技術が生まれ、それを土台にしてまた新たな技術が生まれます。伝統とは技術と精神の伝承であって、一貫した説得力があることが大事なのです。プロダクトの味わいやデザインは自由です。本質的で変えてはいけないことと、変えないといけないことの二つを取り違えてはいけません。
──他の酒と比べ、日本酒の面白い点は何ですか
1700 年にわたって培われてきた技術は科学でも全く解明されていません。人間ではあずかり知らない自然の恩恵の中で仕事をしている感覚があって面白いですね。
──新政酒造の強みは何ですか
自社で発見された酵母があることです。「6」と書いてある酒が象徴していますが、6号酵母という93年前に新政酒造の蔵で発見された古い酵母が、近代以降の清酒酵母の元になっています。しかし、酵母の香りがあまり出ないために、新政酒造を含めほとんど使われていませんでした。でも素朴な味わいを持ち、他の素材の味を濃く切り出せる酵母としての使い方があるわけです。
──家族経営についてはどう考えていますか
一般的な組織であれば入社時に「基本的な能力があるか」などでふるいにかけられるので、尖った能力を秘めた人材を雇用しにくいですよね。そのため、飛び抜けた革命はなかなか起こせません。家業の場合はほぼ無条件で社長になれるので、飛び抜けた人材が革命を起こせる可能性があるのです。しかし同時に、何代続いていようが一代で潰してしまう可能性もあります。そこは恐ろしい部分ではあります。
──仕事で大切にしている価値観について教えてください
物書きや音楽は自分の表現でしたが、日本酒を造るのは酵母などである以上、原理的に自分の手で日本酒を表現することはできません。酒造りは「いかに美しく自然を写し取るか」で、自分は主役じゃないと考えています。
──学生時代で今の仕事に通じていることはありますか
学生時代にためていた教養がなければ、今のような新政酒造にすることは難しかったと思います。社会人はそれ以前に蓄えてきた教養を切り売りしているようなものです。教養と同様に趣味も生きていて、学生時代好きだった漫画家さんとコラボをすることなどもあります。
──今後の展望について教えてください
一社だけだと地域産業や伝統産業は絶対に成り立ちません。なので新政酒造は伝統発酵産業を育成する会社だと思っていて、同業者への講演会の開催や業界団体の運営など常に業界全体のことを考えて動いています。自分の会社が生きていくためにも、他者と差別化しながらお互い伸びていける戦略を取ります。今まで培ってきた自分の知見や技術を今後はもっと業界のために生かしたいです。
──就活を前にした東大生に伝えたいことはありますか
東大生はある程度何でもこなせる人が多いので、自分の特性にとことん向かい合っていないのではないかと思います。私は言ってしまえば自分の得意なことだけをしてきました。なので就職する前に「これなら絶対にうまくいく」あるいは「うまくいかなくても大好きだから大丈夫だ」ということを見つけておくのが良いと思います。
【前編はこちら】