7月、北海道白老町にアイヌ文化復興のための国立の施設「民族共生象徴空間(愛称・ウポポイ)」が開業した。ウポポイは同化により失われつつあるアイヌ文化を発信し、復興することが期待されているが、観光産業化との批判も聞かれる。昨年成立のアイヌ施策推進法で「先住民族」と認定されたアイヌと和人はいかに「共生」すべきか。アイヌの歴史や海外との制度比較、ウポポイ内の博物館展示から「共生」を考える。
(取材・桑原秀彰)
法制度から見るアイヌ施策
アイヌの法的地位はどのような変遷をたどったのか。アイヌに関する法制度・政策を研究する落合研一准教授(北海道大学)は「アイヌ民族は1871年制定の戸籍に平民として組み込まれたことで近代日本の『国民』になりました」と語る。身分上、和人と区別はなくなったが、実際は「旧土人」として差別を受け、明治政府が設置した開拓使により同化を強制されたという。具体的にはアイヌの風俗の禁止と日本語習得の奨励、慣れない農業への転業などだ。北海道には和人も多く入植し、土地の没収や移住を強いられたアイヌの生活は窮乏した。
そのようなアイヌの「救済」を名目に1899年に制定されたのが北海道旧土人保護法だ。農業用地をアイヌに提供することなどを定めたが「実際に与えられた土地は多くが農業に向かず、困窮の解決にはつながりませんでした」。むしろ、狩猟採集を主に営むアイヌに農業への転業を促したことで生活は変容し、同化は一層進んだという。戦後の日本国憲法で法の下の平等が保障されたが、アイヌへの差別はなくならず、格差は現在も残る。
1980年代から国連でも先住民族の権利に関する議論が始まり、日本でも北海道ウタリ協会(現・北海道アイヌ協会)がアイヌ新法案を決議したことを受けて、97年にはアイヌ文化振興法が成立。旧土人保護法は廃止された。「振興法はアイヌ文化を消滅の危機にある少数文化の一つと位置付け、アイヌ文化の保護を通じて日本の多様な文化全体の発展を図るとしました」。そして昨年制定されたアイヌ施策推進法において、アイヌが先住民族であると明記された。
先住民族とされたアイヌだが、他国の先住民族の法的地位とはどのように異なるのか。落合准教授は「アイヌの立場が憲法上、不明確である」点を指摘する。
例えば米国は先住民を部族単位で扱い、自主性を持たせる。「憲法に連邦政府との通商の対象と記されており、国や州と同様に位置付けられています」。連邦政府が部族ごとに保留地を定め、域内では各部族がある程度の主権を持ち、自治を行っているという。
対して原住民を個人で捉えているのが台湾だという。「日本統治時代の戸籍に原住民かどうかが記載されており、それを基に原住民を認定しています」。憲法には「原住民族」という身分が明記されており、政府は、原住民である個人を中心に支援を行っている。
米国の先住民も同化が進んだのは事実だが、アイヌほどではない、と落合准教授は話す。「先住民は保留地への強制移住などに苦しみましたが、入植者とは集団として区別されたことで独自性やアイデンティティーを比較的維持できました」。一方、アイヌは明治政府により国民に統合され、生活領域も開拓の対象とされたため、集団としてのまとまりを喪失。和人と同化せざるを得なかった。
集団としての把握が難しいならば、台湾のように個人への施策を行うことも考えられるが「戸籍にはアイヌであるかを記載する書式はなく、和風に改名されたアイヌもいるため、誰がアイヌかを判別するのは困難です」。さらに憲法の「法の下の平等」のため、対象をアイヌに限った支援が直ちには難しいと指摘する。
では、アイヌ施策推進法の支援はどのようなものか。「市町村が、住民からの提案を受けて政府に交付金を申請し、アイヌ文化環境などの整備・向上施策を行います。支援対象はアイヌに限られませんが、アイヌからの提案が重要です」。その上で「アイヌの要望は世代や地域により多様。それらの具体的ニーズに応じた実効的な政策の実施が求められます」と話す。
現在では、同化を強いられたアイヌのことを存在しないと誤解している国民も少なくない。「ウポポイは、アイヌに対する理解の深化と、持続的なアイヌ政策の確立に貢献すると思います」。現状、アイヌに対する国民の理解は高いとは言えないため、国民の適切な理解を得ることで、アイヌへの手厚い施策につながっていくという。「ウポポイでの啓発のみならず、義務教育でのアイヌに関する記述の充実化などの取り組みを通じて、和人の文化との違いやアイヌの歴史を知ってもらうことが共生の鍵になるでしょう」
アイヌ主体の展示を
失われつつあるアイヌ文化を次世代へ継承、発展させる啓発の拠点としての働きが期待されているウポポイ。その中心施設である、国立アイヌ民族博物館の佐々木史郎館長に展示の特徴や狙いを聞いた。
「まず重視したのは、アイヌ目線での展示です」と佐々木館長。「館内の第一言語をアイヌ語にし、アイヌ語の解説文を日本語よりも上に配置しました」。アイヌ語には統一的な書き言葉がなく、方言によって表現が多様だ。これをあえて統一せず、解説文ごとに異なる地域の方言を用いたという。またアイヌ語のネイティブ話者はほぼいないため、現代的な事物に対応した語彙はアイヌ語学習者と言語学者の協力で作った。
また、解説文の主語は「私たち」と、アイヌの目線で記述されており、和人からの目線ではない。自分たちの文化を自ら語る「主体性」を強調したという。
解説文の展示にはアイヌの学芸員も多く参画し、多様な意見が反映されている。例えば、若い学芸員からの「アイヌの古い伝統だけでなく、アイヌの今を知ってほしい」という意見を受けて、チセ(アイヌ語で家)の解説文には現在のアイヌが近代的な住宅に住んでいることを付記した。佐々木館長は「博物館でアイヌの伝統的な文化のみに触れるとアイヌが今でも展示のような生活を送っていると誤解されることがあります。アイヌが身近にいないからこそ生じる誤解です」と指摘。現在のアイヌの多くは近代的で、和人とあまり変わらない暮らしぶりで、同じ今を生きていることを知ってほしいと話す。
アイヌ目線の語りが難しいところもあった。それはアイヌの歴史に関する語り。「抑圧を物語る歴史的資料を展示するなどにとどまり、淡々としたものになっています」。アイヌ出身の歴史研究者が不足し、アイヌ目線の語りが難しい側面があるからだという。代わりに映像でアイヌの人たちが受けてきた差別・偏見を自ら語る展示を設けた。
開業に際して、ウポポイはアイヌ文化の観光産業化との批判もあった。これに対し、佐々木館長は「観光としてアイヌ舞踊や工芸品を見てもらうことで、アイヌの伝統技術の向上・継承につなげることを目指しています」と語る。
今後は、日本のみならず、世界の人にもアイヌ文化に触れてもらう拠点としたいと話す。「アイヌ文化を接点にして、世界中からさまざまな人が白老の地に集まり、人類の多様性を考えることで民族共生へのヒントが得られると考えています」
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