何気ない旅にひそむ妖しさ
旅が好きだ。目的地はどこでもいい。観光地を見て回るわけでもなく、宿に泊まってさっさと帰ってくる。数日間の非日常がうれしい。電車やバスに乗って知らない街へ運ばれる快感は他では味わえないものだ。しかし、いつでも旅に出られるほど大学生は暇も金もない。されど、漂泊の思いやまず……というとき、幾度となく読み返したのがこの本だ。
本書の舞台は敗戦から復興へと向かっていた1950年代。初老の作家・内田百閒と、付き添いの国鉄職員である「ヒマラヤ山系」の二人が繰り広げる汽車の旅を描いた作品である。
百閒は旅を、とりわけ汽車をこよなく愛した作家だった。その偏愛ぶりは「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」という冒頭からにじみ出る。何を見るわけでもなく、ただ汽車に乗って移動する。せっかくの旅なら一等車に乗りたいと、友人に弁舌を振るい借金までして切符を買う。周囲から見れば、やっていることは阿房のそれだ。奇行にも見えるかもしれない。しかし本人は至って真面目だ。
ただ汽車に乗り、移動するだけの旅が続く。東京をたった汽車は大阪、新潟、青森、九州の各地へと二人を乗せて進む。一般的な紀行文と違い、ただ行って帰るだけの旅らしく、話の面白さを希求していない。「抑も、話が面白いなぞと云うのが余計な事であって、何でもないに越した事はない」。窓外の春光、雨にぬれる紅葉、一面の雪を味わい、何気ない会話や出来事を微に入り細に入って描く。ページを繰るたびに聞こえてくるような車輪のリズミカルな音や揺れが主調となって、いつの間にか二人の隣に座っているような、不思議な感覚を味わわせる。
この作品のもう一つの大きな魅力は、時たま顔をのぞかせる幻想的な世界だ。連れの国鉄職員がタヌキに化けて見えるなど、現実離れした光景がふと挟まれる。幻想的な小説を得意とした百閒らしい独特の仕掛けだ。非日常が大きく足をはみ出していくこの妖しさが作品に奥行きを与える。単なる紀行文として読めるほど一筋縄ではいかないユニークさが読者を楽しませてくれる。
高校生の時にこの本を読み、飄々とした文体に魅了された。百閒自身にも憧れ、旅の習慣から生き方のスタンスまであらゆるものをまねしようとした。しかし巧妙な借金癖だけはものにできないでいる。借りられたものといえばせいぜいペンネームぐらいだ。
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内田百閒(1889~1971)
岡山県生まれ。東京帝国大学卒。陸軍士官学校教官、法政大学教授などを歴任。『冥途』に代表される、夢の世界を描いた幻想的な小説を多数執筆した。独特な俳味のあるエッセーの名手としても知られる。
この記事は2019年10月29日号から転載したものです。本紙では他にもオリジナルの記事を公開しています。
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