「何でも相談に乗ってくれる」「とても優秀で素敵な人」と町中で話題の東大OGが、山形市にいる。中小企業の経営相談を行う山形市の機関「Y-biz」で、公募により164人の中から選ばれてセンター長として働く富松希さんだ。
東大大学院修了後、首都圏や海外での生活を経て山形で働くという選択をした富松さん。地方で働くということについて、同じく地方への就職を決めた記者が話を聞いた
(取材・撮影 石沢成美)
━━現在の仕事内容について教えてください。
山形市の個人事業主・中小企業経営者の方の「売り上げをアップさせる」というチャレンジに対して「知恵とアイデア」で支援するという仕事をしています。事業者さんの相談は1回1時間、無料で何度でも利用できるようになっています。
知恵とアイデアで支援するというのは、「f-Bizモデル(※)」に基づくものです。大企業には人材や資源がたくさんありますが、中小企業には十分あるとは限りません。そんな中で、相談に来られた企業が今持っているものから強みを見つけ、それをいかに売り上げにつなげていくかという観点でアドバイスをしています。
※編注:「f-Bizモデル」:2008年に開設した静岡県富士市にある富士市産業支援センター「f-Biz(エフビズ)」から始まり全国の自治体に広がっている、中小企業支援の取り組みのこと。
━━仕事の面白いところは?
相談業務で事業者さんの強みを引き出すということは、まだ多くの人には知られていない事業者さんの魅力に気付けるということ。それがとても面白いです。
Y-bizにお越しになった当初は「どうしていいかわからない」と悩んでいた事業者さんが、何度も相談を続ける中で笑顔が増える様子をそばで見させていただけるというのもやりがいですね。「前に進むためのプロジェクト」を応援する仕事だから、楽しいんです。
━━逆に大変なことはありますか?
体力と集中力、かなあ。私が受ける相談は1日で4〜8件くらい。1時間ごとに違う事業者さんの話を聞くので、それぞれにしっかり向き合って話を聞くには相応の体力と集中力が求められますね。
だから休みの日はできるだけ体を休めるようにしています。休日に羽目を外すとたぶん、平日にしんどくなってしまうので……(笑)。
学生時代に身に付けた「思考のパターン」
━━大学院ではどんな研究を?
認知科学や組織知の分野の研究をしていました。
修士論文で扱ったのは、これまで教育心理学の分野で「人-人」の関係で成り立つといわれていたことが、「人-ロボット」の関係でも成立するかということ。例えば、テストの成績について「あなたたちは優秀だ」などポジティブな言葉を掛けるグループと、「全然だめだ」とネガティブな言葉を掛けるグループではその後の成績の推移が異なるとされていたけれど、ロボットからのフィードバックでも同じ結果になるのか、といった内容です。
面白かったのは、ロボットからの反応を受けた人は気持ち自体にはほとんど変化がない一方、結果としてはネガティブな反応よりポジティブな反応を受けた方がパフォーマンスに上がっていたこと。自覚はなくても意識の深層に響いているものがあるのだと分かり、人に対して前向きな声掛けをすることは大事なんだと感じました。
大学院での2年間は本当に楽しかった。後輩や先輩と、研究や日常のことをああでもないこうでもないと1日中話したり、修論や試験の時期にみんなで夜中まで大学に残って頑張ったり、ということが強く印象に残っていますね。
━━学生時代の学びで、今に生きていることは何ですか?
システム的な考え方を学んだことです。システムというのは、例えばハチが花粉を運んで植物に実がなったり、その植物や実が動物の餌になったり、さまざまなものがそれぞれの役割をもってお互いに影響を及ぼし合いながら機能しているもの。だからひとつの役割、ひとつの担い手だけに注目していては駄目だということです。私は広域システム科学系という専攻だったので、物事をそのような相互作用の中で捉えること、その影響先や事象同士の関係性を考えるという思考パターンを学生時代にしっかり訓練されました。
この考え方は、どんな仕事をする上でもとても大事なものだと思います。例えばマーケティングなら、広告を打ち、それを人が見て、どういう反応するかという流れを必ず考えなきゃいけない。自分の見えない受け取り手がいるということを意識し、常に視野を広げて物事の仕組みを考えていくということにつながります。
チャンスを逃さない進路選択
━━大学院修了後、大手メーカーに就職されました。どんな軸で就活していましたか。
研究生活が本当に楽しかったから、新卒の時点では大学院でやっていた研究を続けられるところに行きたかったんです。結果的にいいご縁をいただき、一生そこで研究者として働きたいくらいの気持ちでいました。
━━今は転職を前提に就活する学生も少なくありませんが、そうではなかったのですね。転職するきっかけは?
結果的にいろいろ転職する人生になっているけれど、そんなつもりはなかった(笑)。
最初のきっかけは、新卒で5年ほど働いたころ。研究を続ける中で、私は事業やビジネスというものについてほとんど知らないということに気付きました。そんな自分に会社の役に立つ研究ができるのだろうかともやもや考えていた時、先輩の1人から「コンサルティングファームを立ち上げるから手伝ってほしい」というお誘いがあって。立ち上げたばかりで安定性もなく何が起こるか分かりませんでしたが、経営者が何を考えて何に悩んでどう判断しているのかをそばで見る経験ができるなら、このチャンスを生かすしかないと思い転職したんです。
そこで海外案件の支援なども行いながら英語力を伸ばしたいと思っていたころ、夫が仕事でカナダに行くことが決まりました。私だけ日本で仕事を続けるという選択肢もあったけれど、せっかくの機会なので仕事を辞めてカナダのバンクーバーに行き、語学留学とビジネススクールでのマーケティングの勉強をしました。
━━毎回リスクの大きな道を選んでいる気がしますが、その決断の理由は?
面白そうな方を選んでしまうんだと思います。新卒から一生同じところにも勤められるはずだったけれど、それよりも、いろんなチャレンジがあり新しいことをできそうな道を迷わず選択してきましたね。
あとは、両親の影響かな。母親が「人に迷惑さえかけなければ何でもいい」とよく言っていて、子ども心に「肝が据わっているなあ」と思っていました。ベンチャーに移りたいと話した時も、両親は「あなたがやりたいなら、自分の食いぶちさえ稼ぐ覚悟があるならいいんじゃない」と。そんな家で育ったので、基本的に「なんとかなるだろう」と思って生きています。
地方にこそある「多様性」
━━その後日本に戻り、2018年に山形でY-bizセンター長に。
バンクーバーから横浜に戻りましたが、その頃は働くなら必ずしも都心でなくていい、という思いがありました。バンクーバーは、トロントやアメリカの大都市と比べると決して大きい街ではなく、自然に囲まれた地方都市。でもそこに暮らす人が自分の地域に誇りを持ち、生き生きとしていて、とても魅力的な場所だったんです。日本でもそんな魅力的な地方都市が増えればいいな、そんな街を応援できる仕事をしてみたいという気持ちを持っていました。
当時夫が転勤していた山形に遊びに来る中で良い街だと実感し、山形での仕事を探し始めました。そこで友人に紹介されたのがY-bizセンター長の公募。任期は1年更新だし、親戚も友人もいない山形での暮らしに不安がなかったわけではないけれど、面白い、やってみたいという気持ちが強く挑戦してみました。
━━山形のどこに魅力を感じたのでしょうか。
新しいものと古いものが共存する街だと思います。老舗が京都に次いで多いと言われていて、でも若者たちが新しいものを作って動いている実感がある。いろんな店や建物があるけれど、ちょっと郊外に行くとすぐ山がある。アートフェスティバルや映画祭という地域での文化的な活動も活発。街の様子に多様性があり、可能性を感じる町だなあと思ったんです。
━━「多様性」は渋谷のような街にこそあるものと思っていましたが……。
もちろん渋谷も、お店や人種、出身地という意味では多様です。でも私が東京のサラリーマンという生き方を続けることに限定して考えると、生活はそんなに広がらないと思っています。通勤圏内と言われる場所に住んで、1時間以上も電車に乗って都心に通う。そうでなければ高い家賃を払って狭いところに住む。休日に自然を楽しむのにも一苦労。通勤形態も休日の過ごし方もある程度限られてくると感じています。
多様性といってもいろんな面があって、若者が新しい人と出会いたいと地方を出て都会に行くことを否定はしません。それぞれの年代で、その都度いろんな多様性に出会っていけばいいと思います。
━━山形に来て、どんな暮らしの変化がありましたか。
一番大きいのは通勤時間。横浜にいたころは90分だったのが、今は自家用車だと15分、バスを乗り継いでも40分と大きく減りました。家での時間が増えて、ほぼ3食しっかり自炊するようになりましたね。
それから季節の移り変わりに敏感になりました。夏の暑さも冬の雪も、季節の変化を感じながら楽しんでいます。
ただ首都圏や地元にいる友達とは離れてしまって、会う機会が減ったのは少し残念ですね。
━━この地で働くことを、どのように感じていますか。
東京では、仕事と生活の場はしっかり切り分けられていました。同僚や仕事の相手先の顔は分かっても「〇〇社の〇〇さん」でしかないからその人たちの生活というのは見えてこない。
それと比べると、この街の中では住んでいる人たちの生活感があり、つながりが深い感じがします。例えば、地域の中に飲食店があって、食べに行く人がいて、店に野菜を提供する人がいて……と、地域を支えている人たちの顔が見える。その温かみ、無機質ではない感じというのが地方で働く大きな魅力の一つだと思っています。
━━これから大学の外に出る東大生にメッセージをお願いします。
どんどん転職しろとは言わないけれど、都会から地方に、大企業からベンチャーにと全く違うコミュニティーに移る機会があるなら、どんどん飛び込んでチャレンジしてみてもいいんじゃないかなと思います。日本にいて見える日本と、海外から見る日本は全然違うし、それは地方と都会でも同じ。自分が場所を変えないと分からないこと、想像だけでは気付けないことがたくさんあるから、若い時にチャンスがあるのであればぜひチャレンジして人間の幅を広げてほしいです。