議論が感情的になり、意見が両極端に分かれる現象がSNS上で多く見られるように、情動が知性を上回る状況が昨今ますます顕著になっている。時として知性よりも情動に訴える性質を持ち、政治と結び付くものの一つに、音楽や映像など身近な芸術表現がある。五神真総長が唱える「知のプロフェッショナル」になることを期待されている我々は、こうした芸術表現に潜む生々しい政治性にいかに向き合うべきか。表象文化論が専門で、政治と情動の関係を芸術の観点から論じている田中純教授(総合文化研究科)に聞いた。
(取材・円光門 撮影・児玉祐基)
──民族間、宗教間の対立は現代においても顕著ですが、人々はまさに知性ではなく情動によって、自分の国を守るために異質な者を排除しようと突き動かされているように思えます
文化の分野に関わる一つの要因は「伝統」の政治利用です。それはあたかも太古から変わらない統治の文化が現代も続いているかのように、人々を錯覚させてきました。ナチズムは中世ドイツや古代ギリシャを、イタリアのファシズムは古代ローマを文化的に参照して現行の権力を価値付けました。古代と現代を直結させることでその間の歴史性を無化するのがこの種の「伝統」です。そのような「伝統」が持つ価値は人々の情動を大きく動かすのです。人文学者に求められていることは、「伝統」が政治的意図によってつくられた過程を暴き、歴史的な視座を与えることです。
──芸術は現行の政治権力に抵抗するものであるという印象がありますが、逆に芸術が権力と密着することはあるのですか
政治のネットワークは社会の随所で機能し、芸術は決してそれと無縁ではありません。政権に近い芸術家が権威ある賞を授与する立場にあったり、芸術家集団を束ねたりといった、政治性が強い空間が芸術界内部にも存在してきました。政治性が潜んでいるのは大学も同様で、東大総長が文部科学省と密接な関係にあるのは当然として、例えば入試に英語民間試験を導入する文科省の方針の裏には、政権中枢に近い政治家の思惑があるわけです。
──では、芸術であるがゆえに権力と距離を取り得るということはありますか
芸術や人文学研究は、究極的には1人でもできます。「実現しない作品」の構想さえもが現実批判的な意味をもちえます。これは強みです。権力から最低限の距離を取り、批判的思考を確保できるということですから。
「今の自分」を壊すことを恐れるな
──芸術が政治と関係付けられることは一般社会ではまれで、むしろ芸術そのものとして語られることが多い気がします
そのような語り口によって覆い隠された芸術の政治性を捉え返すことが批評の仕事なのですが、日本の芸術批評はまだまだ弱いと言わざるを得ません。例えばドイツでは、作品を社会的な文脈の中で解釈したり、 政治的な意味を持つ別の作品との関連を指摘したりする批評が一般誌(紙)にも掲載されていますが、日本の新聞などにはそれだけの批評をするスペースがありません。これは芸術に対する関わり方の文化的な違いなのかもしれません。
──SNSでは「音楽に政治を持ち込むなよ」という意見までありますが
SNSで個々人が好き勝手な意見・感想を言えるようになった結果、芸術と政治の関係などを論じる本質的な批評がそこに埋もれてしまっています。本来そのような批評を発信すべきであるマスメディアには力がなく、難しい状況です。
──韓国政府がキム・ヨナを起用して制作した三・一独立運動の記念曲「3456」は、まさに音楽に政治が持ち込まれた例です
「3456」の歌詞そのものは抽象的で、制作側が「男女関係の隠喩を使った」と言っているように、 単体で聴けばラブソングに聴こえなくもない。他方で「3456」という数字自体が濃縮された政治的な象徴性を持っている。男女間の恋愛という要素と音楽が持つ力を掛け合わせ、誰に歌わせるかも含めて、受け手への感情的な効果を制作側が狙っていることは明白です。「3456」という象徴性を通じて人々に朝鮮半島の歴史の記憶を思い起こさせ、その記憶に関わる感情をナショナリズム的な方向に動員しようという意図があることも確かです。 曲調に心地よさを感じても、作品にそのような意図があることは韓国人、日本人問わず誰もが自覚すべきことだと思います。
──表象文化論の研究者として「3456」を分析するとしたら、どのような手法を使いますか
歌詞内容の分析はもちろん、なぜあのような楽曲が今選ばれたのか、韓国のポップスの歴史から考察することが可能でしょう。また、作品がどのような政治力学の中で生まれたかという創造の過程、どのように大衆に影響を与えたかという受容の過程を明らかにします。さらに現代において、ナショナリズム的な意図を持った政策が、音楽や芸術にどのように影響するのかというマクロな視点から比較文化論的に論ずることもできるでしょう。
──政治性を持つ芸術表現の例は、日本ではどういうものがありますか
万葉集から取られた「令和」という元号の制定過程とその社会的受容は、文芸の政治性を考察するうえで格好の事例でしょう。
──世の中は音楽や映像など多くの表象にあふれていますが、それらが持つ情動に訴える力に惑わされず、その背後にある政治性を見抜くためにはどうすればよいでしょうか
全てを疑うことです。対象にいかに感覚的に引かれても、徹底的に知的に、シニカルなくらいに距離をとって分析すべきです。自分の感性、知性すらも信じず、持てる知識を総動員して、自分がその作品に魅了されていることさえも相対化、客観視しなければなりません。しかしそうは言っても感性や知性は気付いた時にはすでに出来上がっていますから、例えば外国語によって思考したり、外国で新しい体験をすることで、今まで信じてきた体系を壊すことが必要になりま す。「今の自分」を壊すことを恐れてはいけません。
この記事は、2019年4月16日号からの転載です。本紙では、全学部・大学院ごとの就職先詳報や、他にもオリジナルの記事を掲載しています。ニュース:「まず、踏み出そう」 学部・大学院で平成最後の入学式 7621人が門出迎える
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