2012年夏、日本各地から集まった人々が、福島第一原発事故後の原発政策に抗議するために首相官邸前で大規模なデモ活動を繰り広げた。約20万人もの人々が集まり、「脱原発」と「民主主義の危機」を叫びながら道路を埋めたにもかかわらず、そのデモはテレビや新聞といった主要メディアによって報道されることも、注目を集めることもなかった。
9月2日より渋谷アップリンクにて上映が開始される映画『首相官邸の前で』は、2012年のデモを、ネット上の映像と関係者6人のインタビューから再構成したドキュメンタリー作品だ。監督を手がけたのは、社会学者の小熊英二さん。
前編の今回は、映画の制作に至った経緯や、空前の大規模なデモがメディアに黙殺された理由などについて、特別インタビューを行った。(後編はこちら)
マスメディアはなぜ官邸前の反原発デモを取り上げなかったのか
―なぜ、今回映画を作ろうと考えたのでしょうか。
まずそもそも、「このデモを記録しておかなければ」という意識が根底にありました。首相官邸前で20万人もの人々が一堂に会しデモを行った。これは、1968年前後に広がった全共闘運動よりはるかに大きく、60年の安保闘争と同等のレベルです。また台湾や香港の運動とくらべても劣らない。これほどの大規模な抗議活動が起こっているにもかかわらず、メディアに取り上げられなかったし、抗議に参加している人たちも自分たちのやっていることの大きさを自覚していなかった。私は「なぜこの人たちは、これほどの大事件に対して反応しないのだろう?」という疑問を持ちました。そして、私が学者としてやるべきは、今回のデモを記録に残し後世に伝えることだと思ったのです。
―映画を制作するのは今回が初めての試みだということですが。
そうですね、『首相官邸の前で』は、私と撮影・編集スタッフ1名の、総勢2名で作りました。今では編集機材等も安価に揃えられるので、出資も私自身が行いました。当時の抗議の様子を撮影したネット上の動画を撮影者の許可を得て無料で使用させてもらい、さらに当時の首相と抗議参加者の男女8名にインタビューを行って、それらを編集して109分の映画にしました。
私は社会学者として本は何冊も執筆してきましたが、映画制作の経験はありません。それでも、映像という媒体を使用することに心理的なバリアは全くありませんでしたね。散在している記録を収集・構成し、1つの世界観を提示することは、私が普段から研究や執筆活動で行っていることそのものですから。その営みを文字で行うか映像で行うかは、問題ではありませんでした。
ただ、「作るからには面白くてクオリティの高いものを作ろう」という意識で制作に臨みました。私自身が面白いと思えるものを作ろうと考えながら作りましたから、この映画は面白いと思いますよ。客観性を担保しながら、自分が観る立場でも飽きないように編集しました。観客の皆さんが退屈することは、恐らくないのではないでしょうか。
―このデモがメデイアに取り上げられなかった理由は一体なぜだったのでしょうか。
『首相官邸の前で』を鑑賞した大手マスメディア勤務の記者の方は、「なぜこの規模のデモがマスメディアに全く取り上げられなかったのか」と素直に驚いたり、反省したりしている人が多かったように思いました。私は、「悪気がないなら余計にまずいな」と思いましたが……。つまり、マスメディアがこのデモを報道しなかったのは、政治的な理由からというより、当時のマスメディアの制度と彼らの持っていた感性では、こういったデモを捉え理解することができなかったという理由からだと考えています。政治的な理由だけなら、原発の問題は報道するのに、デモは報道しないというメディアがあるのは説明できませんから。
―当時のマスメディアの「制度と感性」とは、一体何なのでしょうか。
まず、ああいったデモは取材する体制がなかった。大手メディアの縦割りの取材体制がそうさせてしまったと言って良いでしょう。抗議は首相官邸の前で行われましたが、官邸の真ん前にある国会記者会館にいる記者は政治部に所属していて、官庁や政治家を取材するのが仕事だと思っている。彼らは目の前で抗議を見ても「これは自分たちの担当ではない」と判断し、取材しようとすらしません。また事件などを扱う社会部の記者は霞ヶ関に派遣されませんから、担当者が不在になってしまう。
また、これまでのデモなどの取材は、政党や労組などの主催団体に取材するのが通例でしたが、組織のない市民がやっているデモをどう取材したらいいかノウハウもなかった。取材に来ても、主催のグループに広報担当がいるわけでも、責任者がはっきりと決まっているわけでもないために、話を聞くべきポイントや人が見つからない。またこの30年くらい、大きなデモを取材した経験もない。だから対応が出来なかった。そうなると、誰も取材に行かない、行っても取材が出来ない、といった状況が構造的に作られてしまう訳です。
さらに現場に足を運んだ記者がデモのことを理解して取材したとしても、記事の選別をするのはオフィスにいるデスク(取材・記事作成の責任者)と整理部です。彼らが重要性を理解できなければ、紙面に採用されません。主要メディアでは、「購読者や視聴者に分からない言葉は使わない」という原則があります。例えば大手の新聞は、外来語などに必ず日本語訳をつける。結果として、何かを報道するときには、「地方の高齢者にも分かる内容を」という意識が働いてしまう。そういう意識で情報が取捨選択されるので、新しいムーブメントというものはなかなか報道されないのです。
―なるほど。では、「感性」とは?
事実があっても、それを捉える目がなければ報道が伝えられることはありません。とくに、1970年代以降は大きな運動がなかったから、「日本でデモが起きるはずがない」という意識が広まって続いていました。だからマスメディアの人々は、目の前で起きていることが理解できなかったのだと思います。政党や労組が動員しているわけでもないのに万単位、10万単位の人が集まり、何かを変えようとして運動をしている、ということ自体が理解できなかった。だからなかなか報道しなかったし、やっと報道し始めたと思ったら、抗議にきている人たちに対して「どうして来たんですか?」、「何かを変えられると思っているんですか?」というようなことを聞いていた。あんな原発事故があったのだから、抗議がおきる方が当然だと思うのが普通の感性のはずですが、「日本でデモが起きるはずがない」という固定観念があるものだから、「どうして来たんですか」といった質問をしていたのでしょう。しかし最近の安保法制の抗議の報道では、さすがにそれはなくなりましたね。
日本の社会運動のこれまでとこれから
―たしかに、2011年以降デモという社会運動の形式が広まったという認識があります。1970年代以降、日本でデモに対する参加意識が低くなったのには理由があるのでしょうか。
まず、1960年代後半の学生運動から派生した連合赤軍事件の衝撃によって、社会運動一般に対する嫌悪感が広まったということがひとつ挙げられます。「運動」とか「デモ」という言葉に対しも、1960年代の残像がまだまとわり付いていると言えるかもしれません。
また単純に、1970年代から1990年代までは、日本の経済が安定していたことも理由として挙げられると思います。格差の問題が注目されるようになったのは、2000年代後半からです。そうやって社会全体に不安が広まり、自民党政権が倒れ、しかし民主党政権が期待に沿わない。そこに東日本大震災と原発事故がやってきました。そこで人々が抱えていた不安や不満が、たとえばデモという形をとって出現するようになってきた、と私は考えています。
―1970年代から日本では大規模なデモが姿を消していましたが、2015年現在では、抗議運動はより裾野が広がり、デモの担い手が戻ってきたように感じられます。
基本的には、いま話したような社会の変化が大きいでしょう。とりあえず自民党に政権がもどったけれど、だからといって日本社会が1990年代以前に戻らないことや、自民党も昔の自民党とは違ってきていることがはっきりしてきた。また2011年以降の蓄積で、運動に参加した経験を持ち、あるいはそういうことをやっていいんだという認知が広がって、自分でも何かやってみようという人が増えたという要因もあります。
あとはやはり、インターネットの果たした役割はありますね。組織動員ではない、自由な個々人を結びつけるメディアとしては重要でした。
ただし、インターネットの限界もあります。SNS含めインターネットは選択性の強いメディアです。インターネットだけで人を集めようとしたら、せいぜい2000人が限界だと、官邸前抗議の主催者たちは言っています。つまりインターネットは、狭くて深い情報回路ですね。
反対に、マスメディアは社会の津々浦々まで、浅く広く情報を届けることが特徴です。私が調査したところでは、2012年に官邸前に抗議に来た人たちは、インターネットとマスメディアを排他的に観ているのではなく、「テレビで見た友人がフェイスブックで誘ってきた」といった複合的な形で情報を得て参加していたようです。
2012年から3年が経ちましたが、マスメディアでもデモのニュースがきちんと取り上げられるようになってきた。それによって、人々がデモについて情報を得ることが増えてきました。こうしてSNS、口コミ、マスメディアなど、色々なメディアの織り成す情報の層によって、現在の広がりが生まれてきたと言えるでしょう。
インタビューは後編に続きます。
(取材・文 後藤美波、写真 須田英太郎)
リンク:http://www.uplink.co.jp/
作品分数109分
毎回上映後、会場の観客で映画の感想などについて語り合う、