インタビュー

2015年11月3日

世界から「重力、ゲート、繋ぎ目」はなくなる。メディアアーティスト落合陽一さん2

 2015年11月12日(木)〜16日(月)、東京大学大学院 学際情報学府の学生を主体に開催されているメディアアートの展覧会である「東京大学制作展 iii Exhibition」が本郷キャンパス工学部2号館 にて開催される。

 

 2004年に講義の一環として始まって以来毎年行われているこの制作展は、数多くの東大卒メディアアーティスト・クリエイターを輩出していることでも知られている。メディアアーティスト・筑波大学助教として多方面に活躍の場を広げている落合陽一氏も、OBの一人だ。 本記事では、落合陽一氏に「メディアアートとは何か、その歴史と今」そして「落合陽一とは何者か、その歴史と今」、2つのテーマについて話を伺った。

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前編はこちら

 

−−テクノロジーを持っている理系の人間は、何をどう表現すればよいが分からない。一方で、テクノロジーが分からない文系の人間は、どこまで表現が可能なのかが分からない。制作展に限らず、メディアアートにはそういったジレンマがあると思います。

  それはとても面白い視点で、テクノロジーの文脈とアートの文脈と、両方の文脈を理解していないとメディアアートは作れないと思うんだよね。つまり、「テクノロジーは今どこまで可能なのか」と「アートはどこまで可能で、やられてきたのか」を両方理解した上で、「テクノロジーで今不可能なものを可能にして、かつ、それがアートとして持ちうる価値を定義すること」。これが、メディアアートなんですよ。

 

−−アート文脈が分かっている人とテクノロジー文脈が分かっている人との協調によっても、メディアアートは可能となりますか?

  サイエンスコミュニケーションとかでもよく出る問題なんだけど,僕の経験と意見としては,ある一人の人の中に2つ以上の専門性が宿ってこその特殊性のある作品であったり、アートであったりすると考えています。 なので,協調で作品は作れると思いますが、それは共同作業で作るのではなく、互いに創発し合った結果個別の作品が2つできるのだと思っています。まぁもしくはすごく互いに理解し合えるくらいに仲がいいか、かな。

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視野闘争のための万華鏡,東京大学制作展2011
左右の目に違う映像を提示したとき、一方がよく見えたり、互いに混ざり合ったり、片側が見づらくなったりする。左右の目が競い合っているようにみえることから、これを視野闘争と呼ぶ。この作品では、両眼に万華鏡を当て、コンピュータによって作り出される映像を万華鏡を通して鑑賞する。 視野闘争をコントロールするように設計された映像により、鑑賞者は右と左の視野の融合するような感覚や、 左右が高速で切り替わるような感覚、片側の視野の喪失感など、様々な視覚効果を体感し、コンピュータに視野闘争をコントロールされていく。

 

■映像と物質の区別のない「デジタルネイチャー」の時代へ

 −−こういった制作展での作品を経て、今は「デジタルネイチャー」という言葉を提唱していらっしゃいますね。

  僕がずっとやっているのは「映像と物質の差をどう踏み越えるか」ということ。 たとえば空間に映像が飛んでいたり、人間に物質を動かす力があったりしたら、それってもう今の「コンピュータ」って枠組みじゃないよね。1970年代から続くマルチメディアコンピュータという枠組みを超えた「あらゆるものがデジタルにナチュラルで、映像と物質の区別がつかない世の中」は「デジタルネイチャー」なんですよ。 「デジタル」と「ネイチャー」、つまり「コンピュータ」と「人間」って別のものだってみんな思っているけど、それは間違い。「デジタルネイチャー」で一語なんだよ。新しい自然が成立するし、新しい理がこの世界に存在している。 僕らが真核生物のときにミトコンドリアを体内に吸収して共生関係になったように、今はスマホを人間が吸収しているから。 本当は意味的には「コンピュテーショナルネイチャー」がいいんだけど、コンピュテーショナルだと長いので、デジタルネイチャーって言ってます。  

 

−−長いから、だけの理由なんですか(笑)

  うん、本当に長いからってだけ(笑)。 あ、これどこでも話したことないネタだけど、「デジタル計算機の」っていう意味であればデジタルはコンピュテーショナルって意味まで戻れるんだけど、単純にdigitって意味だったら俺がやりたいのはデジタルネイチャーではないね。 まぁ、今はコンピュータの時代になって久しいから、digitalでもコンピューテーショナルって意味になりつつある。   計算機を内包する実世界、つまり、結果的にデジタルな部分は見えないけれど、デジタルの恩恵を受けられるような世界が作りたい。 ものから体験自体にどうやって進むことができるか。例えば、物体をコンピュータで動かすという時に、「バックグラウンドにはコンピュータによる計算やシミュレーションが入っているが、見た目にはコンピュテーショナルなものは何もないです」というようなもの。 コンピュータと非コンピュータの区別もつかないし、我々も自分がコンピュータかコンピュータでないかも規定できない。自然が何か、人工物が何か、そういうパラダイムが崩れ去った感じ。

 

−−「ユビキタス・コンピューティング」に近いものですか?

  「ユビキタスコンピューティング」という言葉は近いけれど、この言葉はコンピュータ技術の方針的なものとして捉えられてきたよね。 マーク・ワイザー(ユビキタスコンピューティングの祖)は、区別がつかないほど日常生活に織り込まれることを「カーム・テクノロジー」と呼んでいたけど、カーム・テクノロジーを突き詰めた先にはコンピュテーショナルな空間やコンピュテーショナルな人間があらゆるところに存在して、互いに混ざり合った末にアナログとデジタルの区別がつかない空間がやってきて、映像性と物質性の果てに、マルチメディアとは違うものができるはずなんですよ。やがて自然科学としてのコンピュータが成立するかもしれない。デジタルネイチャーだ。

 

  映像の世紀から魔法の世紀へ、そんな感じにどうやったらこの世界のパラダイムを変えることができるかいうことをやっています。心を動かす計算機を作りながらね。

 

■世界から「重力・ゲート・繋ぎ目」はなくなる

 

 僕にはデジタルネイチャー研究における目標が3つあるんですよ。

 

  1つ目は、重力をなくすこと。 人間は、いかに3次元に生きているとはいえ重力下では平面性のある空間にしか生きられない。 重力があるから、人間は二次元空間に固定されちゃうんですよ。机を挟んで話をできるし、二次元平面に違和感を感じない。でも、発想や想像の自由が奪われている。

 

 一方で、コンピュータって生来的に多次元的なんですよね。 どういうことかというと、人間にとっては横と縦と奥行きって全然違うものだけど、コンピュータにとっては全部たかが配列の中に入ったデータの問題でしかなくて、時間と空間の差すらないんですよ。だからコンピュータと人間が融合すると、人間の価値観も変わってくるはずだし、上と下の区別がなくなったっていいはずだよね。

 

  2つ目、ゲートをなくすこと。 この世界にはゲートが多すぎる。大体が人の労働コストに縛られた改札構造だと思う。都市の特徴。 本当は電車から降りた瞬間に、改札なんかに集まらずに自由な方向に向かって行ったっていいわけじゃん? なのになんで改札があるかというときっとホワイトカラー時代の名残で、誰かが観察して、警備して、管理する必要があったから。つまりそれって、マンパワーの労働力を基準にして人間の行動が束縛されてきた訳で。 でもそんな束縛はコンピュータ時代には不要だと思っていて、人間は自由な方に自由に行っていいはずだし、ゲートが一個もない地下鉄とか、レジがないコンビニとかがあってもいいよね。 こういった都市構造自体の再定義をデジタルネイチャー時代にどうやっていくかには、すごい興味がある。

 

  3つ目が、繋ぎ目をなくすこと。ガラスだけで出来ている家がないように、物体と物体の間には必ず繋ぎ目があるんですよね。 だけど、人間の身体には繋ぎ目はほとんどない。 だから、コンピュータはやがて繋ぎ目のない世界を作るはずなんですよ、3Dプリンタみたいに。あらかじめ全てがアセンブリされているものをどうやって作っていくか。それはソフト的にもハード的にもね。

 

−−「物体の繋ぎ目をなくす」っていうのは、物体同士の繋ぎ目をなくすってことですよね?

  そうそう。

 

−−デジタルネイチャーの考えだと、物体と人間の繋ぎ目もどんどん・・・

 うん、なくなっていく。

 

−−すると、デジタルネイチャーの極限にメディアは残るんですか?

 究極までいったら多分、なくなると思うね。究極までいったらあらゆるものはコンテンツになるし、最終的に敗北することも分かっている。だけど、デジタルネイチャーにするまでの間、ひたすら俺はメディアを開拓し続けて、メディアアートをし続けないといけないと思っている。メディアが完全になくなったときに、「何がメディアアートだったのか」っていうのはすごい重要で、つまりデジタルネイチャーに至るまでの間は、映像の時代の逆定義としてのメディアアートの時代になってくるはずなんですよ。    

 

■デジタルネイチャーの時代の可能性

  人間は「人と人の間」って定義だけど、今、人と人との間にあるものってインターネットなんだよ。 つまり、今の時代にインターネットによって人間は逆定義されているんですよ。 だから、「人間とは何か?」って聞かれたら、「人間とはインターネットである」と言うことだってできる。これが昔だったら、「人間とはテレビである」「メディアを介したコミュニケーションである」ということができた。 これまでのITっていうのはリアルとバーチャル、オフラインとオンライン、デジタルとアナログの間を反復横跳びばっかりしていたんだけど、そんな反復横跳びをする必要はない。 この壁を壊したところに、「デジタルネイチャー」の世界がある。

 

 機械の性能が人間に合わせて作られているのって、俺にとってはすごい気持ち悪いんだよね。 たとえば人間の視覚は毎秒60フレームくらいしか処理できないから、テレビはそれに合わせてフレームレートが決まっている。解像度も、人間の分解能に合わせている。音だってそう。これって自然から人間というフィルターを作って、そのフィルターを機械に逆転写してるようなもので、人間の耳をそぎ落として貼っつけたようないびつな存在に感じる。 一家に一台ある不自然な生首。でも、「デジタルネイチャー」の時代にはそれはいらないはずなんだ。 100kHzまで再生できるオーディオを作ったっていい。 そうなってくると、われわれとメディアとの関係とも変わってくるはずなんだよね。

 

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−−落合さんは、研究者としてもコンスタントに論文を通して、業績をきちんとあげられていますよね。研究とメディアアートは両立しうるものなんですか? 

 研究をする時と、アートをする時とは意識的に区別はしてますね。 というのも、研究は「どこまでできるか」が重要で、一方でメディアアートは「何を言いたいか」が重要になってくるから。 一旦アートをやり始めちゃうと、何を作るかが面白くなっちゃって、重要な発見ができなくなっちゃうんだよね。 だから、研究がアート的なインパクトを持つことはあるけど、逆にアートが研究になるってことはあまりないと思っています。自分らしいものは、やっぱり研究の中からしか出てこないなぁ。

 

−−自分らしさ、というと? 

 「圧倒的なテクノロジーによる人類の人間性,自然観の更新」です。

 

ーーそれが可能となる世界観が、「デジタルネイチャー」なわけですね。

 そう、「デジタルネイチャー」。

 

−−最後に、東大生へのメッセージ をお願いします。

 

 自分のやりたいことに哲学を見つけ、アウトプットしてください。 重要なのは自分のキャラクターと世界観を作ることであって、誰かに言われた哲学や誰かへの憧れではないです。 もう一つ重要なのは、「楽しいは消費だが、楽しむは投資」ということ。 たとえば、疲れてきたら寿司を食べて復活するみたいなことはとても大事です。 イケてない大人は醜く、青春を取り戻そうとします。 イケてる奴になれるのは今だけなので、学生のうちにイケてる奴になってください!

(取材・文 小川奈美)


前編:現代のテクノロジーで芸術の枠はどう広がりうるか? 落合陽一さんインタビュー1 落合さんからのお知らせ 11月27日には初の単著「魔法の世紀」が発売されます。小学館からも啓蒙本が出ます! 11月22日にJ-WAVEの公開収録が明治大学であるので、是非会いに来てください!   制作展のお知らせ 第17回東京大学制作展「わたしエクステンション」は、2015年11月12日(木)〜16日(月)(11:00 – 19:00)東京大学本郷キャンパス工学部2号館 にて開催されます。  


 

落合陽一/1987年生の28歳.メディアアーティスト,筑波大学助教.デジタルネイチャー研究室主宰.巷では現代の魔法使いと呼ばれている.筑波大でメディア芸術を学んだ後,東京大学を短縮修了(飛び級)して博士号を取得.2015年5月より筑波大学助教,落合陽一研究室主宰している.経産省より未踏スーパークリエータ,総務省の変な人プロジェクト異能vationに選ばれた.研究論文はSIGGRAPHなどのCS分野の最難関会議・論文誌に採録された.作品はSIGGRAPH Art Galleryを始めとして様々な場所で展示され,Leonardo誌の表紙を飾った.LAVAL VIRTUALよりグランプリ&部門賞,ACEより最優秀論文賞,他にもACM UIST, EUROHAPTICSでも受賞経験があり,グッドデザイン賞2回,経済産業省Innovative Technologies賞2回&特別賞,日本マニフェスト大賞やロハスデザイン大賞,TIME誌とFortune誌によるWorld Technology Awardでは2015年に Finalistに選出(全世界のITハードウェア部門で2015年を代表とする7人)など様々な場所で入賞やノミネートされ,他にも受賞多数.プロジェクトは,CGCHANNELが選ぶ2014年のベストSIGGRAPH論文や,NewScientist誌が選ぶ2012年のベストビデオ等に選ばれている.応用物理,計算機科学,アートコンテクストを融合させた作品制作・研究に従事している.BBC,CNN,ディスカバリーチャンネル,AP,ロイター,デイリーメール紙,テレグラフ紙,ロシア国営放送,フランス国営放送, などメディア出演多数. 最近では執筆,コメンテーターなどバラエティやラジオ番組などにも出演し活動の幅を広げている.TED World Talent SearchやTEDxTokyoではスピーカーを努め好評を博した.作家/研究の他,Pixie Dust TechnologiesのCEOの他ジセカイ株式会社に経営/研究で参画し,学際分野のアウトリーチに多岐に活動実績がある.

 

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